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歴史

シャブリという名は、ケルト語で「家」を意味するCAB という言葉と、「森の近く」を意味する LEYAという2つの言葉に由来します。歴史を遠くさかのぼったその昔、ブルゴーニュの小さなシテでの暮らしは盛えていたと言われています。
その証拠に、新石器時代の村の跡や、後にはガリア期の城塞化された農場が残されています。この農場にはすでにブドウ畑が存在したと考えられています。シャブリの真の起源は、4つの重要な「ヴィラ」が設置されたローマ時代に遡ります。ブドウ畑は、ドミティアヌス(81~96)政権下でいったん破壊されたものの、プロブス皇帝によって(276-282)再び植樹されたため、シャブリで再びワインが味わえるようになりました。 今から17世紀前のことです。
5世紀には、大規模な侵攻が相次ぎました。510年ごろのブルグント族の侵攻では、カトリックに改宗したブルグント王ジギスムントによって、サンスの第二司教聖ルーに捧げる小修道院が設立されました。
9世紀になると、シャルル・ル・ショーヴによってヴォーシャルム渓谷の入り口(Vaucharmes、シャルル渓谷を意味するVau Karlが変形した名前)に、聖マリアを奉る小教会が作られます。これは、841年6月25日のフォントノアの戦いの勝利を感謝するためのもので、この戦いから「かの美しいフランスが公式に誕生した」のです。
それから26年後に、シャブリは思いがけない恩恵を受けました。ロワール川をのぼってくるバイキングから逃れるために、トゥールのベネディクト会士が聖マルティヌスの聖遺物を携えて、有名なサンジェルマン・ロクセロア教会に辿り着きました。867年、オーセールでクリスマスを過ごしたシャルル・ル・ショーヴは、大規模なバイキング侵攻を恐れていたこのベネディクト会士たちに〈教会、住居、農地、男女の僕付き〉で、シャブリの土地を与えたのです。
この寄与を受けたベネディクト会士は、いちはやく最大のブドウ畑所有主となり、神への奉仕として、また需要に応え、賓客や貧民に振舞うためにワインの製造に着手します。聖ベネディクトゥス法典では、1日当たり1ヘミナ(0.271ℓ)のワインの飲酒が許可されていました。
1114年には、シトー修道会士のユーグ・ド・マコンによって、ポンティニー修道院(シトー会の第二修道院)が設立されます。たちまち有名になったポンティニーも、(ポンティニーにはブドウ畑がなかったため)、シャブリのブドウ畑を授かりワインの醸造に着手します。ところが1198年には、ベネディクト会士によってシャブリでの所有地が36アルパン(およそ17~18ヘクタール)に限定されてしまいます。ワインは順調に売れましたが、聖職者の間で賛辞を浴びていたオーセールの名声には及びませんでした。
12~13世紀には、シャブリに聖マルティヌス参事会教会、サン・ピエール教会(サン・ピエールはシャブリの守護聖人)、市立病院、サン・コスム小修道院、ル・プティ・ポンティニーが建てられました。
1331年には橋に小型アーチが設けられ、1405年には下町のヴィーユ・バッス(ブール)に城塞が築かれました。29の塔、3つの門、3つの隠し戸が備えられ、その建設資金は「クールト・パイント」と呼ばれる税金で賄われました。
1478年はシャブリにとって重要な年となります。ピエール・ルルージュが、フランス第5の印刷所をシャブリに設けたのです。1537年当時、シャブリの人口は4,000人を数え、そのワインはフランス中で有名になっていました。
1568年2月25日、シャブリのカトリック区がユグノーの攻撃にあい、山の手のフォーブール(ヴィーユ・オート)が焼失します。城塞化されていたブールは、3日に渡る攻囲の後に略奪にあいましたが、多額の金銭と引き換えに火災は免れました。
シャブリにふたたび繁栄が訪れるには、2世紀の時が必要とされました。オーセールの港から平底船やいかだでパリに運ばれたワインは、フランス王のテーブルにものぼりました。こうしてシャブリの世界征服が始まります。
19世紀末になると、ネアブラムシ病やベト病によって、ブドウ畑が大被害に見回れます。さらに、第一次世界大戦で100人以上もの若い働き手を失うという痛手を受け、再出発のためにブドウ栽培者が全力を尽くしていきます。アメリカ製の苗にボーノワと呼ばれるシャルドネ種を接木することによって寄生虫に対抗し、害虫よけのボルドー液も、ベト病に対する効果を見せました。
1940年6月15日のドイツ軍による爆撃では、中心街にある247の家屋が破壊されました。1949年の第一回ワイン祭りが、シャブリ復活の記念すべき年になりました。しかし本格的な復興は、1955年の機械化と、1957年の凍結後に導入されたブドウ苗用の暖房を待たねばなりませんでした。そして1970年のヴィンテージのすばらしい収穫によって、シャブリはその栄光を完全に取り戻したと言えます。ブルゴーニュワインの伝統と17世紀に及ぶ栄光に再び名を連ねることになったのです。
クレジット : bigyouth
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(JL. BERNURY, E. DE BLAY, A. DROUIN D GADENNE J. GESVRES D. GILLET , M. JOLY H. MONNIER JP MUZARD, Image & Associés DR)